2016年11月10日

〈回想録〉石川忠富士精版印刷会長② 忘れ得ぬ3つの言葉

石川忠富士精版印刷会長h28.7.15.JPG 今日は目次といたしましては、⑴私の恩師⑵私の事業―印刷業⑶私の公職⑷私の趣味⑸香川大学経済学部への期待――ということでございます。
 先ず忘れ得ぬ言葉が3つございます。それは「士魂商才・和魂洋才・教養ある経済人」です。
 座右の銘と申しましょうか、忘れられない言葉でございます。「士魂商才」は、高松高商が開校された時に、初代の校長先生が隈本先生でして、隈本先生が生徒の控室、集会所に、扁額にこの士魂商才という額を掲げられました。
 ご承知のように、徳川幕府は15代徳川慶喜で大政奉還、明治政府が始まったわけでございますが、明治4年に廃藩置県ということで、お殿様が全部廃業ということになりました。
 そして仕えた侍、武士が、失業あるいは就職ということになりまして、極端な場合には文字を知っているからということで、印刷の活字を拾う業種になった侍もいたそうであります。北海道あたりの本に書いてあります。
登校途中の高松高商生h28.11.6.jpg 侍は「武士の商法」ということで、商売をやれば失敗をするというのが、武士の商法です。そのあとに士魂商才。武士の魂を持って、商売をうまくやりなさいということです。高松高等商業学校はそういう士魂商才の学生を世の中に送り出すということで、隈本先生は、その扁額を掲げられたと思います。
 次に「和魂洋才」ですが、これは慶應義塾を創設した福沢諭吉の言葉でございます。色々と大言海をめくりまして、この言葉があるかなと思って調べましたら、和魂洋才はありませんが、和魂漢才はあります。
 ということは、1200年前に、菅原道真の当時でございますが、遣唐使とか中国と交流が非常に盛んでした。この頃、中国に色んな文化、知恵を教えてもらったわけです。
 1200年前には中国に教えられたから和魂漢才が載っておりました。福沢諭吉は、明治元年が今から130年ほど前でございますから、その前に洋行を3回しております。アメリカ2回、それからヨーロッパ1回。3回の海外視察によりまして、こういう言葉が生まれたわけだと思います。
 日本人の魂と西洋の才能ですね。福沢諭吉の本を見ますと、「窮理の学(科学)」ということになります。サイエンスです。福沢諭吉は、これからの明治時代の日本人はサイエンスをどんどん学んで行かなければならない、すなわち、文科系と理科系の考え方を持つバランスのとれた人間になると、開発能力も生まれるであろうということで、理科系、文科系、両方の勉強をしなさいという考えがあったのであります。
 福沢諭吉は、3回の洋行で西洋の知識をどんどん吸収しようと。明治の初めですから、日本は非常に後進国です。ちょんまげをやっと切った頃です。「ざんぎり頭を叩けば文明開化の音がする」というような時代でございまして、西洋の知識をどんどん吸収しようとした時代でございます。福沢諭吉は、和魂洋才ということで、明治時代の教育者、啓蒙家、そういうことになったわけでございます。
 それから「教養ある経済人」でございますが、これは戦争前の東京商科大学、ただ今の一橋大学でしょうか、そこに中山伊知郎教授がおられました。
 ちょうど私の5歳上の従兄が、その中山先生のゼミナールに入っておりまして、
また同級生に、高松の先輩で15回卒の中川幸次さんは従兄と同じだったと思いますが、日本銀行に入りまして、その後野村総研へ入られたと思います。
 2人が私に、高松が終わったら一橋へ来いという手紙をくれました。私は頭が悪いものですから、慶應の方へ行きまして、一橋は見事にすべり、そのキャンパスを見てきただけでありました。
 従兄が盛んに言っていたことは、中山先生のゼミナールでは、シュンペーターの純粋経済学の話をしてくれました。与件と変動、この言葉を印刷屋の商売に当てはめてみたら、予測できるものと予測できないものといった考えに持って行けました。
 毎日の商売はだいたい読みができますが、読みのできないものは印刷業界の未来だとか、あるいは毎日の中で、突然色んなことが予測できないもの、というふうに、自分の商売でも噛み分けました。
 その与件と変動という言葉は今でも忘れることが出来ません。この頃の本ではシュンペーターの変動は、イノベーションとかいう言葉になっているようですから、そういう方向で印刷業界もどんどんイノベーションでやって行かなければいけないというようなことも考えております。「士魂商才・和魂洋才・教養ある経済人」の3つは忘れ得ぬ言葉です。(収録は平成6年11月22日)
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2016年01月13日

製紙段階に明るい兆しも 大阪紙業5団体互礼会

160106北村光雄(10%).jpg 大阪紙業5団体(日本製紙連合会関西支部、洋紙・板紙代理店会、洋紙同業会、紙運会)の互礼会は6日午後11時からリーガロイヤルホテル「ロイヤルホール」で開催され、関係者500人が参集した。
160106水谷健二工場長(10%).jpg 製紙連関西支部運営委員長の北村光雄氏(大和板紙会長)は「私は昭和36年(1961年)以来、今年も元気で55回目の司会を務めます」と開会を宣言。
 水谷健二支部長(日本製紙パピリア吹田工場取締役工場長)は新年挨拶で「私ども製紙業界においては少し明るい兆しもある。昨年11月時点での主要製紙会社の2016年3月期連結決算予想は、多くの会社が経常増益となる見通し。
 各社とも昨年実施した製品値上げの効果を発揮し、円安による輸出環境の改善や減産に対処するため徹底したコストダウンに取り組むなど企業努力を重ねた結果といえる」と述べた。
 その一方、「製紙業界を取り巻く環境は相変わらず厳しく、少子化や電子メディアの台頭により、また一昨年の消費増税が重なったことで紙の内需は厳しい状況が続いている。特に新聞用紙、印刷用紙の減少が顕著で、板紙を除く紙の国内出荷高は20カ月連続で前年に比べ減少となっている。
 そのような背景のなか、製紙各社は生き残りをかけて海外への進出や他社との連携、木材から作る微細繊維、セルロース・ナノファイバーの生産、実用化など事業構造の転換、新たな経営戦略を着々と進めている」と述べた。
160106井澤鉄雄(10%).jpg 黒田彰裕大阪紙製品工業会会長(コクヨ会長)など関連団体招待者12人の紹介の後、大阪洋紙・板紙代理店会を代表し、伊澤鉄雄日本紙パルプ商事常務執行役員関西支社長が「メーカー、代理店、卸商、物流の方々が一堂に会する新年会は大変効率的で有意義。まさに皆様方の連携こそが大阪の紙業界を支えていると言っても過言ではありません」と乾杯発声を行った。
 宴たけなわの頃、今年75歳以上で現役活躍中のオザックス・尾﨑公子、山上紙業・山上春美、日本紙管工業・竹本實生、入江運輸倉庫・入江義雄、大和紙料・矢倉義弘の各氏が登壇し、それぞれ挨拶。
 中で最年長の尾﨑さんは「ご覧のとおり、健康を楽しむ日々を過ごしております。私なりに健康を保つための二つのことを申し上げます。どんな失敗の中にも必ず成功の種があるということ。その種を私が自分自身で捕まえに行くという努力をしています。どんな悲しみ、苦しみの中にも必ず感謝、喜びがあります。それを私自身が捕まえたいと努力しています。
 もう一つは過去にこだわらない、執着しないこと。また未来にも大きな不安を抱かない。現状、今、これに全力投球すること。そしていつも良くなる、きっと良くなると信じるプラス志向で臨むこと」と強調した。
160106谷川茂(10%).jpg 大阪洋紙同業会と大阪紙運会を代表し、谷川茂紙運会会長(谷川運輸倉庫社長)は、おひらきの言葉として「昨年は紙・板紙のうち紙部門において11月まで20カ月連続で国内出荷量が減少したということで、われわれ紙運輸業界も取扱量が減少しました。その上、社員の高齢化、人手不足があり非常に厳しい昨年でした。
 今年は5月の伊勢志摩サミット、7月の参議院選挙、8月のリオ・オリンピック、パラリンピック、それから消費税増税前の駆け込み需要等を考えると、多少の需要増が期待できるかも知れませんが、やはり厳しい年ではないかと予想しています。
 特にわれわれ物流業界ではトラックのドライバー不足が深刻な状態となっており、これへの対処が喫緊の課題となっています。そのためには、皆様方に従前からお願いしている計画配送を早期に実現していただきたいと思います。
 それからドライバーの労働時間を少しでも短くできるように、貨物の積み下ろし作業に関わる待機時間の短縮についても格段のご理解をいただき、今年も安定的に良質な物流を提供して行きたい」と述べた。
 司会の北村氏は最後に「ご参会の皆さん、今年はアベノミクス第2ステージとして、新たな3本の矢を掲げ、力強い経済の回復を確かなものにし、需要は回復の兆しが見えてきていると言われている。この場の全ての皆様が幸せになることをお祈りし、このへんでおひらきとさせていただきます」と締め括った。
posted by 泉 at 18:57| Comment(0) | 関西版 | 更新情報をチェックする